音楽、映像、ダンス、写真で構成する新しい舞台。
戦後の復興を語る老人の身体から、現代的な問題を炙り出す意欲作。

11/11/10|ドキュメンタリー・オペラ「復興タンゴ」(老人ホームREMIX #2)

来年2月に、横浜のSTスポットで野村誠の新作公演、ドキュメンタリー・オペラ「復興」(仮称)を行います。この作品は、「老人ホームREMIX #2」で、昨年発表した「老人ホーム・REMIX #1」の続編です。

#1では、映像(上田謙太郎)+ピアノ(野村誠)で行いましたが、#2は、それにダンス(砂連尾理)と写真(杉本文)が加わります。

本日は、そのための撮影。お年寄りに、戦後の復興についてお尋ねし、色々語っていただきました。戦後の復興から、東日本大震災からの復興のヒントを得たいという気持ちもあります。

お話を伺って印象的だったのが、戦争が終わって、「ほっとした」というコメント。現在の日本は、この終戦の時点の「ほっとした」状況ではない、ということを再確認しました。

女性陣のコメント「アメリカ人はやさしかった」です。戦後すぐに、進駐軍のアメリカ人たちから、当時20代だったお年寄り達は、随分、親切にされたようなのです。キリスト教の慈悲の精神、レデイーファーストの精神。敵国だったアメリカ人と、素直に出会えている感覚。「汝の敵を愛せよ」という言葉。そして、タンゴやワルツを大柄な黒人と踊った記憶。敗戦で全てを失ったけれど、愛は失っていなかったのですね。

その後、お年寄りたちの鍵盤ハーモニカ演奏、ベルの演奏なども撮影させていただき、新作のための撮影取材は、今回で終了。いよいよ作品づくりが始まります。

ドキュメンタリー映画の要素もあり、コンサートの要素もあり、舞台作品の要素もあるドキュメンタリー・オペラ。「復興」というテーマを、映像、言葉、音楽、ダンス、写真で、浮き彫りにしていきます。

11/09/21 老人ホームREMIX#2「ドキュメンタリー・オペラ」

震災復興の企画として、何ができるだろうと考えていた時に、お年寄りの戦争体験や戦後の復興の体験の言葉をドキュメントしながら、そこから、現代の日本につながるメッセージを見つけていくような、そんな作品を作りたい、と構想してスタートしたのが、老人ホームREMIX#2「ドキュメンタリー・オペラ」です。横浜市芸術文化振興財団の助成をいただき、2月18日、19日に、横浜のSTスポットで公演を行います。

ちなみに、老人ホームREMIX#1は、ピアノ(野村誠)と映像(上田謙太郎)による作品。お年寄りが音楽をする映像に、ぼくがピアノで共演する音楽作品でした。

で、老人ホームREMIX#2は、ピアノ(野村誠)と映像(上田謙太郎)を中心に進めますが、今回は、お年寄りの語りがたくさん出てきます。Steve Reichの映像を用いた作品を、ぼくは体験したことがないのですが、アプローチとしては、ライヒのアプローチにも似ているかもしれません。音楽の質や映像のテイストは全然違いますが。そして、今回は、少し要素が膨らんで、写真(杉本文)とダンス(砂連尾理)が加わる予定です。

写真に関しては、スライドショーのように見せるのではなく、写真一点を見せて、その写真に一曲というようなスタイルで進めたいと話しました。

ダンスに関しては、お年寄りの身体から砂連尾さんに作品を作ってもらうべく、近々、砂連尾さんと相談します。

で、本日は、普段のさくら苑での共同作曲の一コマを撮影しました。数々の名台詞も登場しました。そして、お年寄りたちの笑い声や笑顔が、本当に印象的で、お年寄りの笑いだけを集めて一曲できるんじゃないか、という手応えも得ました。

11/08/21 老人ホーム・REMIX#2、に向けて

昨年、「老人ホーム・REMIX #1」という作品を横浜で発表しました。で、その第2弾をやろうと計画中で、本日、1年ぶりに特別養護老人ホーム「さくら苑」を訪れました。

第2弾の構想は、東日本大震災からの復興がテーマです。お年寄りたちから戦後の復興のお話を伺い、そこから、現在の復興のための知恵を含んだ言葉を探し、音楽作品として構成していこう、と思っています。

理事長の桜井さんも非常に乗り気で、助成金さえ得られれば、プロジェクトは実現しそうです。

1年ぶりのセッションで、ぼくは、三味線や大正琴を一年ぶりに触り、ぼくにとっては既に伝統芸能のようになっている「わいわい音頭」を楽しみました。始めるつもりがなかったのに、誰からともなく始まって、高揚していった即興演奏は、ジャワで教わったベン・スハルトさんの即興の三原則を見事に満たしていた自然発生の音楽でした。その音楽の一部になるのは、ジャワ・ガムランの演奏に参加しているような魔法のようです。洗練されているジャワのガムランはともかく、老人ホームに集まったお年寄りとぼくの友人たちで奏でるこの音楽が、どうして、そんな響きになるのでしょう。

10/12/15 さくら苑のクリスマス

老人ホームのさくら苑を訪ねまして、お年寄りとの共同作曲。この老人ホーム、11年も通っています。今年の3月に、「老人ホームREMIX」という新作を発表したのも、ここでの活動がベースになっています。
今日は、クリスマスソングを作ることになりまして、
鳥なんか食べようクリスマス
これがほんとの借金とり
サンタさん、サンタさん
という歌詞を作って歌いました。

10/12/09 伝統とコンテンポラリー

自分がやったことが前例になって、規範になって、気がつくと伝統になりかけていることがあります。

例えば、2000年に、ASIASの最初の授業をやったのが、ぼくでした。アーティストが小学校に行って教師と恊働でやるワークショップの先駆けみたいなもので、当時ほとんど前例がなかったので、100人以上の見学者がいる異様な雰囲気の中で、授業をしました。で、その後の10年、ASIASでも数々のアーティストが、多様で、色んなアプローチの授業をしたと思うのですが、でも、第1回でできた型があり、妙に、その型が引き継がれていっていることもあるなぁ、とも思うのです。今、思うと、ああ、迂闊にやっちゃったけど、自分が思ってもいないことが、型として受け継がれてしまったこともある。

老人ホームでの共同作曲も、最初は、どうなるか全く分からなかったのですが、本当に偶々の展開で、「わいわい音頭」という歌の創作が始まって、11年経っても、それが、引き継がれています。やる内容はともかく、さくら苑のテーブルを囲んで進めるとか、なんでそうやるのか分からない型があって、でも、それは、11年前から、なんとなく決まっちゃった型です。

このように、ぼくの短い音楽家人生の中で、いくつものプロジェクトが立ち上がった後、だんだん、そこに型ができて、それを踏襲していくようになって、コンテンポラリーをやっているつもりが、あっという間に伝統になっていく場を、何度も経験しました。

このブログについても、そうです。何をどう書いてもいいはずなのに、何となく、こういうことは書く、こういうことは書かない、という型ができてくる。

で、こういう型というのは、まぁ、なんとなくの集積なので、いつでも変えていいはずなんですが、時間が積み重なるほど、変えるのには、なんだか勇気がいる。ただ、それだけのことです。で、所詮、なんとなく決まっているに、歴史の集積があるだけなので、なんとなくで、変えてもいいし、変えなくてもいい。

今日のぼくは、そう思っています。

10/09/02 老人ホームREMIX #2に向けて

横浜の老人ホーム「さくら苑」に来ました。

1999年に、ここで「お年寄りとの共同作曲」というプロジェクトを始めてから、延々と継続しているダラダラした活動がありまして、2006年に、本にまとめたりしました。さらに、今年の3月には、「老人ホームREMIX#1」という作品を作って公演をしたり、しております。

で、今回を最後に、1年間は、さくら苑には、行けません。ぼくが、海外になるからです。ところが、それでも、ネットを通じて、インドネシアにいるぼくと、横浜のお年寄りとのセッションをしよう、と目論むことになっていて、施設側も乗り気です。

インドネシアと日本のやりとりを、どうやって作品化するか。それが、2011年の後半か、2012年の始め頃に上演する計画の「老人ホーム・REMIX #2」になっていきそうです。本日は、ヴォイスパフォーマーの徳久ウイリアムがやってきたり、写真家の杉本文が来たりしています。この人たちは、#1の公演を見に来ていた人たちなので、なんとなく、あの#1を見に来た人から広がっていくような、そして、インドネシアとの遠距離作曲から、何かが始まりそうな予感です。

10/06/10 老人ホーム「さくら苑」にて

老人ホーム「さくら苑」に、10年以上通い続けています。
で、本日も、前回に引き続き、写真家の杉本文さんが見学に来られて、前回の写真を見せてくれたりしました。「老人ホーム・REMIX」という作品では、上田謙太郎さんが映像撮影をして、映像素材から再構成して作品を作ったわけですが、写真というのも、可能性がありそうです。

で、ぼくは、秋からインドネシアに住む予定なのですが、インドネシアとさくら苑で、skypeやUstreamなどでやりとりして、共演するようなこともやりたいな、という話が浮上してきています。

しかし、お年寄りたちは、近頃ドラミングにはまっていまして、これが、なかなかのグルーヴ感なのです。11年前から、ずっとセッションに参加し続けている樋上さんだけでなく、ここ1、2年でメンバーになってきた新規加入のお年寄りたちも、だんだん即興力が上がってきているのです。80代を過ぎて以降にも、人は能力が向上するのだと思います。彼らの半分以下の年齢であるぼくにとって、80を過ぎても能力が向上するのだから、41のぼくにだって、まだまだ大きな可能性があるのだ、と勇気や希望をもらいます。

2011年度に、「老人ホーム・REMIX #2」が行いたい。それに向けて、少しずつ充電中の、まったりとした素敵な時間がありました。

10/05/17 老人ホームの写真撮影

老人ホーム「さくら苑」に来る。1999年以来、10年以上通い続けているのです。さくら苑での共同作曲については、本にも書きました。

3月に上演した作品「老人ホームREMIX」は、さくら苑でのセッションを映像記録したものです。7月17/18日に、この作品を福岡で一部再演する予定です。また、老人ホームREMIXについては、以下のウェブマガジンに原稿を書いたので、こちらも参照ください。
http://www.yaf.or.jp/yccmag/vol5/report01.html

ということで、本日、さくら苑に行きまして、10年以上つづく共同作詞作曲は、継続中で、月曜日〜金曜日まであった歌詞は、10年近く前に現在の状態でできあがっていたのですが、突然、今日になって土曜日を作り始めました。

それと、「なんちゃって詩吟」をやってみた。
「身内に愛されている人は、心が穏やかだ」とのことです。

そして、本日は、10年ぶりに写真家の杉本文さんが、見学に来てくれましたので、終わり際にお年寄りたちにご紹介したところ、突如、撮影大会になりました。これが、なかなか美しい写真が撮れるのです。お年寄りは絵になりますし、写真家の腕前はさすがです。映像をREMIXして音楽作品を作りましたが、写真からも何かができるかもしれませんね。

10/04/14 老人ホームに音楽がひびく

3月14日の「老人ホーム・REMIX #1」から1ヶ月、特別養護老人ホーム「さくら苑」を訪ねる。(老人ホーム・REMIXについては、予告編を参照ください)

14日の公演を見に来て関心を持たれたシンガーの中ムラサトコさんが見学に来られた。さくら苑のキムタクを自任するお年寄りの樋上さんは、全員でのセッションの中に微かに聴こえた中ムラさんの歌声について、とても良いので、一人で何か歌ってくれ、とリクエスト。さすがだ。そこから、飛騨高山の盆踊りを教わったりもする。

見学に来ている俳優の倉品淳子さんの持ちネタに、おじいさんをやる一人芝居があって、これが面白い。ぼくは、お年寄りを前にこれを演じてもらったら、どんな感じがするのだろう、と思い、リクエスト。すると、芝居が始まると間もなく、樋上さんが、この芝居にアドリブで参入.二人芝居になる。

お年寄りを演じる俳優の横で、お年寄りがお年寄りを演じる。すごい光景だ。もともと手に震えがあったりするのに、演技として、さらに震えを強調したりするわけで、ボケてないのに、ボケているふりをしたり、耳が遠いふりをする。でも、もはや、どこまでが演技で、どこからがリアルなのか、分からない。お年寄りが演じるお年寄りの演劇。あまりにも面白くって、腹を抱えて笑ってしまいました。

フィクションとリアルの境界が、曖昧になる。これって、言ってみれば、「なんちゃってジャズピアニスト」をやっている人の横で、本物のジャズピアニストが「なんちゃってジャズピアニスト」をやっている、ようなものですよね。自分で自分自身をパロディーしてしまうとは、さすがです。

あと、「老人ホームに音楽がひびく」の著者の大沢久子さんも、非常に久しぶりに来られました。こちらの本も地道に売れているようです。まだ、お読みでない方は、ぜひ。

そして、帰り際に、職員の方からお声がけをいただきました。

「私、明日で退職するのですが、9年程前に、ここで働き始めてすぐの時に、野村活動を担当させていただいたのです。その時以来、本日が2回目で、とても感慨深い思いでした。野村活動は、入所者のお年寄りから支持を得ている活動なので、すごく羨ましく思っていました。最後に参加できて、本当によかったです。ありがとうございました。」

とのことでした。このコメント、非常に嬉しく思いました。それと、まだ着手できていない、老人ホームの職員の方々が(ヘルパーとしてではなく)積極的に関われる活動に、どうやって展開できるか、を考えてみたい、と思いました。

10/03/10 老人ホーム・リミックス

いよいよ3月14日に、「老人ホーム・REMIX #1」が開催されます(収容人数が50名程度の小さな会場なので、当日は満席が予想されています。来ようと思っている方は、予約をすることをお薦めします)。

本日は、さくら苑のお年寄りたちの前で、本番と同じプログラムを上演して、見ていただきました。

これは、本当に面白い。と同時に、かなり手強い。お年寄りの演奏は色々ニュアンスもあって味わい深くて、とてもいいのですが、これを映像にして、編集することで、その中でも選りすぐりの場面ばっかりが凝縮されているわけです。この選りすぐりの映像に、野村がピアノで立ち向かうわけですが、こちらはライブなので、選りすぐりの濃縮度に見合う演奏をしなければいけないのが、これが、本当に大変だ、ということを思い知りました。ピアノの練習をしてきたんですが、まだまだ未熟者だと思いまして、明日から、さらに精進します。

お年寄りの一人に、こういうことをする意味はあるのか?と問われました。ぼくが創作をしたり、発表することに、何の意味があるのか?意味を問われても、建前上の意味はいくらでも言えるでしょうが、ここで問われていることは、そういうことではないですし、そんなことをこの場で言っても仕方がない。ぼくの答えは、ぼくが作曲したり、発表してしまうのは、性です。どうしてもそうしてしまう性なので、意味などを問う前に、作品をつくり発表してしまう。そしたら、お年寄りたちは納得してくれていたようです。

生きることの意味、食べることの意味、意味を考えても分からないけれど、でも、生きてしまうし、食べてしまう。音楽をすることの意味は分からないが、音楽をしてしまう。多分、死ぬ瞬間まで、音楽をしてしまうんだろう、と思う。それが、ぼくの人生なんだと思うのです。

そうしたぼくの人生であり音楽が、さくら苑のお年寄りたちと交わるコンサートは、3月14日です。

予告編は、こちら